青海チベット鉄道でチベットへ向かいネパールへ抜ける旅 2026.04.15
空がやけに高い。そう感じた瞬間、この旅が日常から遠く離れた場所へ来てしまったことを、ようやく実感した。 中国青海省の省都・西寧から青海チベット鉄道に乗り込んだとき、私はなんとなく、自分が一本の「線」に乗せられたような気がしていた。 どこへ行くのかは分かっているはずなのに、それだけでは済まなさそうな予感があった。 列車は標高4,000メートルを超える世界へ向かって進んでいく。 窓の外には、どこまでも続く高原と、出来すぎた青空。広すぎて、現実の方が少し遠慮してくる。 高山病はそれなりに警戒していたが、私の身体は拍子抜けするほど平穏だった。 ただし、向かいに座った欧米人の旅行者が酸素を吸っているのを見ると、「ここ、やっぱり普通の場所ではないな」と静かに納得することになる。 一昼夜かけて列車はラサへ到着する。 見上げる空はどこまでも高く、乾いた光が秋の訪れを静かに告げていた。 街は思いのほか賑やかで、巡礼者と観光客が入り混じり、どこか雑多で元気がいい。 とはいえ、この旅の本番はどうやらここではない。 西チベットへと進むにつれ、景色はどんどん余計な説明をやめていく。 荒野が広がり、ヤクが歩き、人々は祈りを欠かさない。 この地では、命の終わりさえも自然の循環の一部として受け入れられ、鳥葬によって静かに空へと帰っていく。 文章にするとそれだけのことが、目の前では妙に説得力を持つ。 さらに進んでヒマラヤの麓へ。 ベースキャンプから見上げたエベレストは、もはや「立派な山ですね」といった感想を受け付けない雰囲気をまとっていた。 あれは山というより、「あるべきものが、そこにある」という感じである。 変に納得してしまうあたりが、少し悔しい。 そして、個人的なハイライトはオールドティンリーでの一夜だ。 宿の窓からヒマラヤ山脈が一望できるのだが、夕方になると山が赤やオレンジに染まりはじめ、律儀に色を変えていく。 これを眺めていると、時間というものが急に信用できなくなる。 気づけば、何をするでもなく座っているだけの自分が、むしろ正解のように思えてくるから困ったものだ。 夜になると、空は遠慮なく本気を出してくる。 星が多い、というより多すぎる。天の川までしっかり見えてしまい、「普段見ている空は一体なんだったのか」という気分になる。 人間の生活というのは、どうやらずいぶん控えめな光の中で成り立っているらしい。 やがてザンムー国境を越えてネパールへ。 それまで寡黙だった世界が、一気におしゃべりになったような変化がある。 道は揺れ、街は雑然とし、人々はよく動き、よく話す。 バスでカトマンズへ向かいながら、「ああ、戻ってきたな」と妙に安心する自分がいた。 カトマンズに到着した夜、ようやくすべてが緩む。 そこで飲んだヒマラヤビールは、驚くほど普通に美味しかった。 あれだけ非現実的な場所を通ってきたあとだと、その「普通さ」がむしろありがたい。 こうして旅は終わる。 西寧から始まったあの一本の線は、結局どこへ伸びていたのか。 今となっては、チベットでもネパールでもなく、どうも自分の内側を一周していたらしい。 ありがちな話だが、実際そうなのだから仕方がない。 ただひとつ言えるのは、あの鉄道は人を運ぶだけでは終わらないということだ。 ほんの少しだけ、ものの見え方をずらしてくる。 だからもし、またあの列車に乗ることがあるなら。 そのときはあまり気負わず、適当に座っていようと思う。 どうせまた、ぐるりと回って、自分のところに戻ってくるのだから。 Text/Osawa
